花+花物語
花+花 物語 第1章/ 花は私、花はあなた、 私に誰かが加わり楽しい思い出を作るお店、それが 花+花 1994年 私は期待で胸を膨らませこれまでの8年間の経験を活かし、八造園を立ち上げた。 バブルが弾け、不景気が続く中、これ以上不景気も続かないだろうと独立に踏み切った。 映画インディージョーンズで、見えない橋があると信じて崖から一歩前に足を踏み出す、 そんな気分だった。 映画では数十メートル下の崖の底しか見えない、 しかしそこに実は橋がありインディーは渡ることができる。 私の場合そこに橋はなく谷底へと落ちてしまう。 あがけど、もがけど、ズルズル底へと落ちてゆく。 2000年ついに力尽きて谷底まで落ちてしまった。 対岸の目的地は大きな河を渡り、そこから崖を上った先にある。 まずその海のような河幅の河を渡らなければいけない。 そういう思いで2000年に花+花を立ち上げた。 しかしそううまくいくはずもなく、その船は河の流れに逆らえず、 谷底の対岸までもなかなか到達できない。 暗闇では何も見えず、一人の女性に縋りついた。 おしゃれな園芸店を目指したはずなのに気づけば違う岸にいた。こんなことがあった。 ある二人のお客様の会話 お客様A 「ここえらい花が多いね」 お客様B 「最近ここ人気らしいで、花とかガーデングッズが置いてあるカントリーショップ珍しいやろ」 と・・・ 「うちはカントリーショップじゃありません、ガーデンショップですから、残念」 と私はギター侍風に嘆いた。 気が付けばうちは一風変わったカントリーショップと名をはせていった。 あちこちのカントリー雑貨のイベントに参加し、そこそこ名が売れた時、数社の雑誌から取材依頼が舞い込んだ。 そのうちの一社、学研が出すナチュラルガーデンの創刊号に私がデザインし造った庭が掲載された。 それまでに幾雑誌に広告は出したが効果は全くなかった。 しかし、記事の中に1行、「Garden Shop HanaHana施工」と載ったただけであっという間に数件の造園の依頼が入った。 実はカントリーショップと思ってくるお客様の中にこんな方が増えていた。 「カントリーっぽい庭を設計してくれないか」と それで、数件試行錯誤してカントリー雑貨で演出されたお部屋に合う庭を造っていた。 私は子供のころから古いものが好きで、昔あった粗大ごみの日には各地を転々と物色して回ったものだ。 その古いもの好きが功を奏して、アンティークとカントリー調をミックスさせて造るジャンクガーデンが人気となった。 そして、あれよあれよと数冊の雑誌に私の作品が掲載された。 中には表紙を飾ったものもあった。 そんな中ある日、一本の電話が入った。 「私、MBS毎日放送のせやねんと言う番組のディレクターをやってる〇〇です。」 今は「スマイル工務店」という人気コーナーのディレクターから電話だった。 当時は庭だけのコーナーではなく、スマイル化計画と言う名前だったと思う。 あまり乗り気ではなかった。いや、目立ちたい気は満々だった。 でっかいベテランディレクターと当時アシスタントディレクター(今はスマイル工務店のディレクター)とが家に来て、熱心に口説かれた。 一日でテレビの視聴者が「わっ」と驚くレベルの庭をつくるという。 最初は一日では無理だと思った。そして、それが面白いとは決して思えなかった。 まず、スマイルという漫才師が元高校球児で体力的には問題ないこと、 いざというときは、製作スタッフも技術スタッフも、全員で施工に参加すること、 そして最後に、その漫才師が今崖っぷちだということ。 最後の言葉が私を動かせた、「俺が何とかしたろー、まかせなさい」と 何とか、視聴率は上向けたが、どの回も厳しい施工となった。 2年間は私一人だけだった庭師も今では数人になり、人気コーナーになっている。 始めた時に91kgあった私の体重は,涙涙の卒業の時は75kgになっていた。 気が付けば、テレビの中で変な洋風庭園を造り、おどける変な庭師になっていた。 本格的な和風庭園が造りたかった。 そして、人生のどん底はこんなもんじゃなかった。 離婚で家はめちゃくちゃ、店はぐちゃぐちゃ。 そして、大型台風で店も家も、もっとぐちゃぐちゃ、おまけに植木を作っていた畑もボロボロ。 そして、ついに地獄の目の前まで来た。 私は脳卒中で一度は心肺停止し、地獄の棘だらけの門も天国の入り口も見た。 2週間以上生死のはざまをさまよった。 目が覚めた時、左半身の感覚がなかった。よみがえったのは右半身だけだった。 脳内出血で右の小脳がつぶれた。 目は見える。だが左の口が思うように動かずしゃべれない。 誰かが私の左の皮膚を地獄へと引っ張っているような感じがする、絶えず皮膚が引っ張られている。 一度は死のうと思ったが死ぬこともできなかった。そんな臆病な私だがリハビリは死ぬほどやった。 左が一割ほど戻ってきて杖程度の役割はできるようになり。 右に杖、左にでっかい重い肉の杖をついて歩くことができるようになった。 半年ほどで退院。徐々に左の機能は取り戻し、今は3割程度戻っただろうか。 だが、2歳児にも負けるほどの歩みだ。そして65kgになった。 優しい人にたくさん巡り合えた。その何十倍も鬼のような人にもあった。 結局誰も助けてはくれない、自分の力で生きていかなければいけない。 数々の災難は花+花をぼろぼろにした。 でも今 「俺は花+花をやる!」 助けてくれる人の手を借りて花+花をやる 新生花+花をどうぞよろしくお願いします。 私と楽しくお話しませんか? 2章に続く 店主 辻尾 仁志 拝