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​花+花物語 第2章

花+花 物語 第2章/ さて、「花+花やる」と意気込んでみたものの、左半身が麻痺した私にできるのか? 脚立の上で30年以上暮らした私にできるのか? しかし生きていかないと。 障害者になって、この世界がいかに厳しいかを知った。 みなさんご存じですか? 私は知らなかった。 障害者になると自動で障害者と認められ、各種、障害者用のサービスが受けられると思っていた。 でもそうではなかった。 入院中、免許の更新をするよう病院から言われ、障害者となったことを申請して新たに免許を書き換えるのだが、運転免許試験場に行くと、コロナの影響で入り口が出口と入り口に、半分に仕切られていた。 退院当時は杖で歩くのがやっとだったので、この狭いスペースは入れない、車椅子だと100%入れない、そのことを入り口付近の係員に話すと、入り口を出口の倍に設定してくれた。帰る際は反対に出口が入り口の倍になっていた。 だが入ったのはいいが、鞄を置く場所がない、片手しか動かない私が杖を突いていると、その時点で手がふさがっているのだ、書類も出せずに困っているとそこに担当の検査官が迎えに来てくれた。ものごしの柔らかな女性だったのがせめてもの救いだった、そういう人を検査官に選んでいるのかもしれない。そしてオートマ限定にはなったものの、運転には問題ないということで、オートマ限定に書き換えられた免許書が交付され、ほっと胸をなでおろした。そこで初めて、障害者手帳の申請が必要と知り、その足で区役所に行く。 区役所の障害者用の駐車場は空いていなかった。 この障害者用の駐車場の件ではいろいろあった。 障害者になるまで気にしなかったが、私は一度も止めたことはなかった。 しかし、いざ障害者になるとひどく醜い状態だと気付く、駐車場の問題は後で書く。 なんとかよちよち歩きで区役所に入ったが車いすの人も、歩くのが不自由そうな人もいなかった。 退院当時は言葉にも多少麻痺の影響があり、聞き取りにくいしゃべり方でしゃべるのは嫌だったが、受付で場所を聞き、何とか担当部署にたどりついた。 退院した病院で現在の状況の診断書を書いてもらう必要があるとのこと、 それで後日病院にいき、一日がかりでいろいろな検査や可動の度合いのテストをした。その診断書を提出した。結果障害者手帳ががいただけた。そしてその手帳をもって、最寄りの警察署に、駐車禁止除外の申請に行った。無事駐車禁止の除外のおふだをいただいた。これでたいていのところには行ける。行動範囲が広くなる。オートマ限定になったので、オートマの軽トラが必要になり、中古のオートマの軽トラを買った。右手片手で仕事をするためのどうぐをいろいろ買い替えなければいけなかった。意外に簡単におりた保険金はあっという間に底をついた。国金でお金を借りていたのを入院中返済を忘れていて借り換えることになった。コロナのおかげで無金利だったものが1パーセントほどだが金利がつくことになった。団体信用保険に入っていたので、重度障碍者の返済は免除されるはずと電話した。だが担当はこうだ「うちの場合重度障害というのは、左半身麻痺で、右手を失った場合はあたりますが、左半身麻痺だけだと、重度障害には当たりません」とあっさり答えた。結局団体信用保険は貸した側のために入るようなものだ、取れなくなった時のための保険だ。なんでこっちがはらうんだ? 府民共済はびっくりするくらいあっさりおりた。退院当初が一番お金に困るから大助かりだ。府民共済、県民共済はお勧めだ。 だがこれから、日本の美しいとされている社交辞令の醜さが浮き彫りになってくる。 3章は書きかけです。これから少しづつ書いていくので、是非コメントください。 店主辻尾 仁志 拝

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